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はざま   [写真 Photograph]

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「身内の死を三度経験しないと作家にはなれない」と言った天才写真家がいる。
「晴れたいときに晴らせることが出来、雨の欲しいときに雨を降らせるのがいいカメラマンの条件」と言った巨匠もいた。

いまは雨のなかに美しさを感じて撮れるようになってきたが、「絶対に晴れの欲しいロケだから小原に撮影させよう」と言われた時もあった。
気持ちは天に通じると思っているし、逆に天の気持ちをわかりたいと考えるようにもなった。
雨に無情を感じることでその土地を知ることは多い。
もちろん晴れの光景も素晴らしいのだが、天は違う景色を見せてくれる。

お盆には帰省した。
墓参りをして、奇麗に飾り付けした仏壇に様々なことを報告する。
10年少し前のことだが高速道路を走っているときに大事故を起こしそうになった。
その日の朝、父親は友人である僧侶に法事のことで電話した。
僧侶は「あ、危ない!息子さんがもうすぐ大きな事故に巻き込まれようとしているが、いまから本堂で私がお経を唱えるからこの事故は避けられる」と言って電話を切ったという。
そのとき僕は首都高を北へと走っていた。
三車線の道路は当時、左側二車線が東北方面へ、右一車線が千葉方面へと向かうレイアウトになっていた。
僕は真ん中の車線を東北方面へと向かっていた。
すると左側を走っていたトラックがすぐ目の前を右へと急ハンドルを切った。
僕の車はまったく視界に入っていない。
思い切り急ブレーキをかけ、後方の車を避けようとハンドル操作をする。
すべてがスローモーションのようだ。
幸いにすぐ後ろを走っていた車もとっさにハンドルを切ってくれた。
高速道路の真ん中で停止した車を次は急発信してなんとかその場をしのぐ。

夕方に父からその電話のこと、時間を聞かされ驚いた。
昨年に弟が逝ったあとに、あの時に僕が先に逝っていたら弟の人生もまた変わり、こんなことにはならなかったかましれないと思ったことがある。
生と死はいつもペアである。
そしてすでに僕は、再び頂いた人生を過ごしていると言える。
「生かされている」と表現したほうがいいのかもしれない。
今年の冬に生死の境をさまよった父はすっかり元気になった。
弟のショックな事実から日々暗くなっていた表情から影がまったく消えて、子供のように明るい姿になった。
きっとあちらの世界に暗さだけを先に置いてきたのだろう。

週末に神社に奉納した聖獣バロンと魔女ランダの闘いを遠くから眺めているといろいろなことを思い出した。
生と死の共演、天と地のダンス、瞬間の美学、はかなさ、真理。
現実と真理のはざまで揺れるざわめきこそ僕の撮るべき写真であり、創造の源。

ようやく少しずつ新しい景色が見え始めた。
いただいた人生ゆえに、さらにその瞬間を大切にしたい。




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