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コウモリの飛ぶ島   [旅  Travele]

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飛行機を乗り継ぎ、船に揺られていると、遠い記憶と現実が頭のなかでシャッフルされる。
島でみた夢は展開の早い小説のように、あるいは波に翻弄されるカヌーのように僕の視点を泳がせる。

夕暮れの島は風が吹き荒れ、空は暗かった。
闇に浮かぶ赤い花を求めることから旅はスタートする。
過去と今を結ぶ血の色。
亡き作家に「日陰にそっと咲く赤花を撮ってくれよ」と沖縄本島で言われたことを思い出す。
花は彼の岸にそっと咲く。



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カラスかと見間違うほどの大きなコウモリが空を横切る。
顔は予想より怖くはなく、後方にある森の豊かさを知る。
あの森に人は入ることはできない。
トレッキングもカヌーもそれは境目を歩くもの。
古代の人達が山を崇めたことを漠然と感じる。

朝は懐かしいバリの匂いがした。
そして明け方にみたバリの友人達の顔を思い出す。
20年間のバリの旅が、夢のなかで複数の短編映画のように蘇る。
合間には友人デワ・ブラタがメロディーを優しく奏でる。
「耳の悪いコハラのために作った曲だよ」と笑いながら。

カメラを持つことは出会いを作ることであるけれど、「撮る」という意識は出会いを制限することでもある。
その意識の「ずれ」を修正し、本来自分が持っている感覚に近づけたい。
それが「感性の瞬発力」にも通ずるし、「ずれ」が「間」に変化すれば自分の意図する写真になると思っている。

以前ハワイから帰国する飛行機のなかで、後方に座っていた家族連れの母親が子供にむかい、「旅は終わったから頭を現実に戻しなさい」と言っていた。
そのときの言葉がいまでも忘れられない。
ここで言う現実という狭い定義の中で僕達は教育された。
瞬発力もなく、ずれた言葉。

優雅に飛ぶコウモリは笑っているように見えた。




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