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玉手箱   [写真 Photograph]

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午後7時30分、東名高速を西に向かう。
満月を迎えようとする昼の空は濃いブルーを残し、魅惑的な月との別れを名残惜しそうにしている。
遠い記憶の中からガムランが聴こえてくる。

バリ滞在中、マジックアワーはいつも音と共にあった。
オダラン(祭り)の日は正装して寺院へと向かう。
儀式の開始時間が遅かったり、予定のない日は観光客用のガムラン、バリ舞踊を見に行く。
昼のオダランなどを入れると、3週間いれば30回以上もステージや奉納演奏を観る。

そしてこの揺れる時間はレゴンのプンガワ(曲の一部)がよく似合う。
ダルマ・サンティーのCDをセットしてレゴンを選ぶ。
ウブドのプリ・サレンなどではまさにこの時間、この曲がスタートし割れ門のなかを可憐な少女達がじっとりした大気に揺れる椰子の葉のごとく登場する。
観衆は瞬間に暑さを忘れ、瞬きもせず踊り子を凝視する。
南国の闇がいま開く。

パッデンデンと乾いた金属音に意識は日本に戻る。
カジャールの音。
なんとも言えない存在感と気品ある音が曲を押し上げている。
涼し気な顔をしてさりげなく演奏している姿を想像した瞬間、日本在住のプトゥ君の顔を思い出す。
「え、こんな感じで演奏できないの…」笑われたような気がした。
悔しいけどまったく無理。

暗室を静岡に引っ越した。
多少のリフォームをし、プリントしながら気になった点をさらに変えていく。
モノクロ印画紙に引き延ばした作品を見ていると好みが少し変化したようだ。
暗室環境のせいなのか、心の問題なのか解らないが今までの黒とは明らかに違う。
引っ越したことであらたな作品と出会えるのかもしれない。

カメラは玉手箱だと思うようにもなった。
たったひとつの箱からさまざまな写真が産まれてくる。
フィルムもデジタルもiPhoneも関係ない。
それはミュージシャンには楽器だったり、アートはみな同じことだろう。
公園にベンチがあれば座ることを心がける。
動かず、焦点をずらし、ぼんやりとする。
絶対に焦点は合わせてはいけない。
それによって見える景色も存在する。
狭い範囲の中でしか景色を観ていないことに気がつく。
カメラを持っても瞬間に実践できるようにもトレーニング。
僕にとっては玉手箱増量計画ということ。

音楽に素養のない僕はガムランを何千回聴いても何万回聴いても気づかない音が多い。
ある日突然に飛び込んでくる音にいつも驚かされる。
写真と同じ。

静岡から帰り今日は頭痛がひどい。
強く降る雨と緑の揺れにふとまたバリを思い出した。







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