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のこすはファイナル   [旅  Travele]

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はじめて旅した国はイタリアだった。
翌年はスペイン。
ともに1ヶ月半ほどのひとり旅。

イタリアにはサッカーを追いかけたり、仕事で、その後幾度も訪れることになった。
スペイン語圏の国としては中南米に何度か旅をした。
結果、スペイン語とイタリア語をゴチャマゼに話す怪しい旅人となった。
koharaという名前はスペン語圏では「コアラ」と発音する。
確かに顔は似ているかもしれないが僕はコアラではないし、オーストラリア国籍でもない。
ということでコアラッチという愛称がうまれた。
正式にはロベルト・コアラッチ。
バリ島ではロベルト・ワヤン・コアラッチ。

イタリアではエスプレッソをオーダーするときには「カフェ」と言う。
最初はそんなことも知らずに「エスプレッソ」と頼み、スプライトがでてくることは一度ではなかった。
昼食にワインを少しだけ飲もうと注文し、「リトル?」と聞かれたのでイエスとうなずいた。
運ばれてきたのは1リットルのカラフェ。
結果その日の午後は使い物にならなかった。
安くて美味しかったことには感動。

そんな旅の出来事を思い出すワールドカップ・サッカーもあとわずか。




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キックオフ   [旅  Travele]

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岡田監督の笑顔を初めてみた。

先週、仕事で会ったJリーグの監督とサッカー・ジャーナリストに話を聞いた。
二人とも視点は違えども「カメルーンには勝てる」と言っていた。
僕は三連敗だと思っていたので意外だった。
カメルーンの調子が悪かったとはいえ組織的な動きはなかなかよかった。
しかしこの守備的なサッカーが日本の理想ではないだろう。
これからが大変。

イタリア大会で経験したのだが、ジャーナリストの大会期間中の睡眠時間は3時間を超えない日が続く。
朝起きると飛行機や電車を乗り継ぎ違う町に行き、スタジアムでは場所取りに並び、ゲームを取材撮影し、その後はプレスセンターでまた仕事をし、深夜にホテルへ帰る。
食事のほとんどがプレスセンターでのサンドイッチ。
夕食がチョコレートだけのときもあった。
最低限、水だけは確保しておく。
南アでは日本人のカメラマンを含め強盗に会った人達が増えてきたようだ。
疲労がたまると、犯罪に対する防衛本能や嗅覚が薄れてくる。
十分に気をつけて欲しい。

ワールドカップが始まってまだ数日。
しかしもうたくさんのゲームを観た気がする。
でもまだブラジルもスペインもポルトガルも見ていない。
観戦者としても長い一ヶ月が始まった。

そう言えば、マラドーナ。
尾崎紀代彦に似てきた(笑)
くさってもマラドーナ、太ってもマラドーナ、やはり主役がよく似合う。


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キュート     [旅  Travele]

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バリで出会ったミュージシャン。
久しぶりに思い出した。
とてもキュート。
そしていまでも新しい。
http://www.youtube.com/watch?v=OkT4NsO2VXc
http://www.youtube.com/watch?v=hbbSPx0xOog
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鎌倉   [旅  Travele]

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645年、藤原鎌足は中大兄皇子と共に大化改新をおこなう。
鎌足は幼少時代に稲荷大神から鎌を授けられ、その後は離すことなく、この鎌をお守りとして持っていた。
646年、鎌足は東国に向かい、その途中で宿泊した相模国由井で霊夢をみた。
それは蘇我入鹿を討つ願いもかなったのだから、その鎌をこの地に返しなさいというものだった。
その鎌は鎌倉市浄妙寺近くに納められたという。
そしてその場所は鎌足稲荷(写真)と呼ばれ、鎌倉の語源になったと伝承される。

土曜日、久しぶりに鎌倉に行く。
そろそろ花も咲いているのではと思い、いままで行ったことのない場所を考えていた。
鎌倉駅で降り、八幡宮を過ぎ、鎌倉宮のほうに向かう。
道端にある案内図を見ると竹の寺報国寺という文字が目に入る。
川沿いの古道を歩く。
苔が美しく、川が描く曲線に波乱の歴史を想う。
寺は予想以上に美しく、竹林は天と地を繋いでいた。
栄え滅び、巡る。
竹は、それを見守る。

浄妙寺は鎌倉街道の向こう側にあった。
何も知らず山門をくぐる。
明るさを感じる。
先ほどの寺が陰なら、ここは陽。
いままでに感じたことない鎌倉の雰囲気がある。
そして驚いたことにその奥には立派な洋館が建ち、美しい中庭のあるレストランになっていた。
レストランにもひかれたが、今日はその前にあるオープン・カフェで温かいコーヒーを飲むことにする。
肩に掛けていたカメラをテーブルに置き、ひとくちコーヒーをすすると店員さんに声をかけられた。ひとりふらふらとやって来た僕のどこかに興味をもったようだ。
この寺の歴史や洋館のこと、この地のもつ不思議なことを教えてくれる。
鎌倉はこの場所で始まったということを聞いてもまったく驚かなかった。
明らかにこの場所は温かいエネルギーに包まれているような気がする。
風に例えるなら、ここは風上であり、雲立つところ。

そしてこの寺を囲む三つの古い神社のことを教えてくれた。
その一つがこの鎌足稲荷。
鎌倉という名の起こりには諸説あるけれど、僕はここに来て始めて鎌倉をその歴史を身近に感じた。





おまけ

カフェで頭を空っぽにしていると(いつもそうなのだが…)、カラスが目の前の街灯にとまった。
顔はちょっと丸く、穏やかそうで、どこか頭の良さそうな顔をしている。
よく見ると八咫烏伝説で有名な熊野のカラスの絵にも似ている。
東京近郊でいつも見るカラスとは種類が違うのだろうか。
数分後に羽を広げ飛び立とうとする瞬間、ある考えが思いついた。
心の中で「ちょっと待って!」と叫ぶ。
カラスは羽をもぞもぞとした後で羽をしまい、こちらを振り向いた。
気が伝わったのだろうか…
カラスは僕が考えているよりもはるかに頭がいいのかもしれないし、いまだ解明できない交信手段を持っているのかもしれない。
もちろんいまのは単なる偶然の瞬間だったのかもしれない。
思い出していたのは、初めて会った犬がいきなりシッポを振って喜ぶしぐさを見せることも、電車の中で見かけた赤ちゃんがしきりに笑いかけるのも、同じような「何か」を感じているからなのだろうか。
カラスはイルカなどと違って、人間には黒くて大きくて不気味、という外見的な理由でかなり損をしている。
カラスにはあまり迷惑をかけても悪いので、再び「ありがとう。もう行っていいよ」と心の中でつぶやくと、今度はゆっくり翼を広げて空に飛び立っていった。
生命は面白い。
ゆえにこれが写真の楽しみを増す。

日曜日の夜、お隣さんから潮干狩りで採ったばかりのアサリをもらう。
「一晩塩抜きをしてから食べてくださいね」と言われ、器に水をはる。
海水の塩加減ってどのくいらいなのだろうとしばし悩む。
海で泳いだときのことを考えいろいろと調整。
アサリの反応を観察しながら塩を足したり、水を増やしていると楽しくなり、チューハイを片手にしばしキッチンで過ごす。
気がつくとすでに40分経過。
「このアサリ、明日は味噌汁で食べるんだよな」と現実を考えると少し可哀想に思うが、とりあえずはいい塩分で過ごして欲しい。
カラスのことといい、アサリといい、「俺ってへんだな」と思いながら週末が過ぎていった。




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光舞う作品展   [旅  Travele]

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ヨセミテで、ネイティブ・アメリカンに伝わるフルートのCDを数枚買ってきた。
大地に吹くさまざまな風を感じ、いまでもよく聴いている。

アナサジという民族がいた。
ネイティブであるナバホの人達が「先住民」とよぶ古い古い文明。
遺跡からはターコイズのジュエリーも発見された。
そしてここから出土した笛はおそらくアメリカで最も古いものだろう。
これを復元したアナサジフルートの音はまたさらに切なく、美しい。

カメラ店に向かって銀座を歩いていると、教会の小さなギャラリーに飾られた絵がとても気になった。
ネイティブ・アメリカン達が暮らすティピーや、フルートを吹く精霊ココペリが美しい色合いのなかに描かれている。
ティピーでの瞑想を描いた作品はまさに曼荼羅の世界だった。
太陽を中心に、あるいは大地を真ん中に、命が、魂が、光が舞っている。
とてもスケールが大きくて、気持ちがいい。
ココペリ達が遊ぶ絵を観ては、また瞑想と曼荼羅と光の世界に戻る。
そんな鑑賞のしかたを30分はしていただろうか。

作家は30年以上もナバホの居住地で生活をともにした日本人女性。
澄んだ目がとても印象的だった。
銀座に行ったらぜひ観て欲しい展覧会。


福田ゆきさん
http://www.jinaonline.org/topics/57/index.php?city=LA

ギャラリー
中央区銀座4-2-1銀座教会堂ビル



※ ナバホ族と日本人は同じDNAということを知りました


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天の河2     [旅  Travele]

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天河神社からの帰り道、柿坂宮司について書かれたある文章を思い出した。

宮司は神社に賽銭箱を置かなかった。
「神社とは困った人達が神様に会いに来たり、瞑想したりする場所。そんな人達からお金なんてもらってはいけない。むしろ神社がお金を与えるようでなければいけない」たしかそんな内容だったと思う。
村人達は農作業の帰りに拝殿の脇に野菜を捧げたり、よその町から来た人達はその横にさい銭を置いていった。
「生活に困った人が神様にお願いに来たとき、そんな気持ちはまったくなかったのに、目の前に置いてある紙幣につい心が動いてしまい、持っていってしまうこともあるのでは」と村人達が宮司に相談したという。
結果、悪のカルマ、悪の因縁ができてしまう。
宮司はしぶしぶ賽銭箱を置くことにした。

僕の周りにも感性の鋭い人達がいる。
アーティストの友人だったり、旅や仕事で知り合った友人だったり、そのまた知人だったり、飲み会での輪であったり。
昨年頃から「もうすぐ地球を取り巻く気が変わるよ」と言うことを時折聞いた。
最初は昨年の10月と聞き、今年になって2月12日頃と聞き、それを過ぎると「確かに大きな気の変化があった」と言われた。
もちろん僕にはわからなかったが。

宮司からもこの話がでた。
「ピラミッド型の組織は逆転する。安定のために築き上げた組織は空洞化してきた。これからはひとりひとりの個を大切にする逆三角形こそが新しい気の流れと共に成立する」と言う。

トヨタの社長は会見で「事業の拡大過程が人材育成のスピードを上回ったことが問題の原因」「何のためにビジネスをやっていくか原点に戻ってやっていく」と語った。

昨年、業績のいい大手企業の次期社長を取材したとき、「我が社の社員は子供の頃に神童と呼ばれた優秀な成績の人間ばかりが入社するが、10年が過ぎると会社の力となる人間は数割しかいない。それは社内の教育がいかに悪かったかを現している」と言っていた。

教育される社員が悪いのではなく、教育する立場にいる人間に多大な非がある。
経済の発展と人間の成長とのバランス、がとれなかった時代の悲劇と言っては簡単だが、これから自分達が進むべき方法は違ってくるだろう。
思想も、社会も、企業も、芸術も、それは時代と共にあるもの。

宮司の観た「気」は確かに流れ始めているのだろう。
浄化することは、膿みをだすことでもある。
そんなことを心の奥に置きながら、自分自身を模索するいまである。


(写真の緑の光はレンズのハレーションです。逆光で撮るとこんな効果も楽しめます)



☆おまけ
本日3日、ある新聞の全国紙の朝刊の隅にちょこっとだけ僕の顔写真が載ります。
悪い事したわけではありません。
この内容の詳細については、月末にラジオで話します。
ネットでも映像つきで見れるのでまた報告します。


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寅   [旅  Travele]

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眼には細い布が巻かれ、口には真言を唱え、暗闇の中に進む。
蓮の葉の上をゆっくりと歩くように。

年男の今年は自分にとって区切りであり、再生の時と考えていた。
寅年のことを調べていると、干支では寅は始まり、そして動く、を意味するとあった。
そして二月は寅の月であり、一年の始まり。
なぜ一月ではなく二月かと言えば、旧暦の正月は二月。

十二年に一度の寅の年、寅の月に奈良の信貴山で毘沙門灌頂があることをしった。
毘沙門天は七福神の一人であり、またの名を多聞天という。
上杉謙信の戦旗に書かれた「毘」は毘沙門天の意味であり、武田信玄もまた深く信仰していた。
一般には「軍神」として知られているが、仏の教えを護る力と、人に福や宝を授けるという力もあるなかなか興味深い天王である。

その毘沙門天と縁を結ぶ儀式が灌頂。
灌頂は空海が伝えた法要。
簡単に言うと毘沙門天と家族になるという式である。
かなり昔になるが「空海」という映画を観たとき、ちょっと秘密めいたこの儀式のことがすごく気になっていた。
とくに投花というシーン。
ここで人は仏と結ばれる。

徳のある仏神と家族になれ、空海の秘技を受けることもでき、奈良で写真も撮れる。
これは行くしかないと即座に申し込んでみることにした。
白い衣を身に付けるのもなかなかできないので、これもいい。
聖徳太子が感得したこの毘沙門天と一番縁が深い日は、寅年寅月寅日、今年なら2月21日。
しかし21日は日曜日ですでに予約はいっぱい。
灌頂は前後数日受けられるということなので、選んだのは22年2月22日2時。
これなら再生にぴったり。
新しい誕生日、後で知ったらガムランの先輩で、一番楽しそうに、一番大きな声で笑いながら、一番お酒を飲むMちゃんの誕生日と一緒ということが判明。
聖なる日だったはずなのに...(Mちゃんゴメン)

内容については秘技のためにここには書けないことが多い。
こんご、僕が活躍することがあればそれはこの灌頂のおかげ...
12年後、試してみてください。
名物「虎まんじゅう」も美味しかった。





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天の河   [旅  Travele]

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水曜日、奈良県橿原市のホテルを8時にチェックアウトする。
午前中は今回の旅のクールダウンをしながら明日香路を巡り、昼過ぎにはクルマをのんびり運転しながら静岡へと向かう予定だった。
信号を右折すればそろそろ古の里という瞬間、「天川43キロ」という標識が目に飛び込んできた。
「あの天河神社まで43キロなんだ...意外と近い」と思うとアクセルを踏み直して天河に行くことに決めた。

天河神社のことはいろいろな人に聞き、本で読み、映像も見ていた。
バリ島のウブドゥからもガムランを奉納に来たことがある。
バリ舞踊家はこの神社で踊った時の感動を何度も話してくれた。
細野晴臣さんは「霊能者の六本木」なんてことをどこかで書いていた。
今回の奈良行きは二つの目的があった。
一つ目は奈良、和歌山、三重と繋がる紀伊半島を撮りたいと考えている第一歩。
結果的に、どこに行っても空海や役行者の足跡を追うことになる。
天河もこの二人の功績が大きい。
この神社のことや、柿坂宮司のことは僕よりもこのブログを読む人のほうが詳しい方が多いだろう。
そして僕にはまだまだ縁の遠いところだと考えていた。

山はますます深くなり、道路は蛇のようにくねりだす。
杉の森を抜け、射し込む光が煌めいている。
カーステレオの音を消し、山の音を聴く。
かつてこの山並みの、道なき道を、修験者達はどのような思いで駆けていったのだろう。
その中でも役行者(えんのぎょうじゃ)は並外れた能力を持っていたという。
伊豆七島に島流しをされた時は、夜ごとに空を飛んでは伊豆に現れていた伝説が残る。
バリの呪術師にも空を飛べる人がいるという。
日本の修験者にもそのくらいの超人がいてもおかしくはないだろう。
負けたくないし、いて欲しい(笑)
この山は駆けるよりも宙を舞ったほうがはるかに楽である。

天川村では温かい日差しが待っていた。
おどろおどろしい所かなと思っていた予想はまったくはずれ、朱色の鳥居が心を安らかにする。
正面に建つ境内の上方からは清らかな光が降ってくる。
そして水の上で遊び、心を清めてくれる。
ライカで、ローライで、そしてデジカメで、何枚もシャッターを押す。
階段を上がり、社殿へと入る。
社の左手には完璧なまでに清められた拝殿があった。
そこはあまりにも美しく、僕の願いなどでこの場所を穢したくないと思う。
同じ屋根の下の右手には舞台が広がっていた。
神社では普通、拝殿と神楽殿は別の場所に独立して造られる。
芸能の女神、弁財天を祭るこの神社ならではのアイデアだ。
これを形にする宮司の行動力もすごい。

着物に身を包んだ品のいい女性達がお祓いを受けに拝殿に集まってくる。
若い宮司がその後を追う。
先ほど明るい笑顔で挨拶をしてくれた人だが、本などで登場する宮司にしては若すぎるので別人だろう。
感動のついでに、僕も勝手にここでお祈りをするより、まずはこの神社の人にお祓いをしてもらおうと社務所に引き返すことにした。
社務所でお祓いの申し込み方を聞くと、さっきまで庭仕事をしていた年配の男女が相談にのってくれた。
若い宮司にも問い合わせてくれ、僕のために拝殿の準備ができるまで一時間かかると申し訳なさそうに言われた。
せっかくここまで来たのだから待つことにする。
待つ時間も楽しいだろう。
社務所にいる二人に今回の旅について聞かれる。
話していると男性のぶっきらぼうでちょっと厳しい目がときおり優しくなる。
名刺を交換しようということになり、渡された名刺を読む。
「う! この人が著名な芸術家や宗教家、精神世界の学者など世界の大物達に慕われている柿坂宮司か」と驚く。
その後も僕のような小物にまでも、とても親切に、解りやすくさまざまなことを教えてくれる。
時を見て、自分がここ数年考えていたこと、今回の旅でわき上がった大きな疑問をぶつけてみた。
そこにはすべての答えが用意されていた。

悩んだとき、迷ったとき、思考方法を変えようとしていた。
視点を点から線にする方法はよくあること。
立体に考えたらどうなるだろうと最近は思う。
そしてその思考を実行に移す。
奈良に行く前に空海の本を何冊か読み返していた。
曼荼羅に宇宙の奥行きを以前から感じていたが、密教を少しだけ読み出した瞬間「空海の思考も立体なのだ」ということに気がついた。
彼の医学も、土木も、建築も、書も、芸術も。
そしてそれを組み合わせ新たな立方体を造っていく。
僕は立方体は円にも通じるのではないかとも考えている。
写真や絵画にとって、レオナルド・ダ・ヴィンチの黄金分割は誰でもが学ぶことであり、ここにすべてがあると言っても過言でない。
しかし、円と円を重ねたり、繋げたり、大きな円に小さな円を永遠に続ける遠近法もあってもいいのではないかと以前から考えていた。
僕が撮る正方形の写真の構成はこの円を意識している。
その発想は空海の曼荼羅を観たときにあらためて「これもありだ」と思った。
曼荼羅的遠近法とかってに考えている。
宮司はこの考えを補足し、解き明かしてくれた。
さすが本人曰く「昔はホンモノのヒッピーだった」人の観察力は鋭い。
ちなみの僕は日本最高のヒッピーの双璧も空海と役行者だと思っていた。
人里を離れ山に籠り、草を食べ、獣を観察し薬草の種類と効能を知る。
宮司は自然界には「ア」の発音には数種類の音の意味があると言っていた。
その意味を考えて祝詞も読むという。
ヒッピーの生活の中でこのことを知ったという。
空海の瞑想法のなかに阿字観というものがある。
あとで知ったのだけどこの瞑想もこの山中で行っていたらしい。
僕の中で第二次空海ブームが起きたとき、東京の真言宗の寺院の市民講座でこの瞑想を体験しにいったことがある。
「阿」という文字に入り、意識を自分の頭から外し、町を抜け、空の上に持っていき、地球を飛び出す。
僕には当然そんなことはできないけど、空海が生きた修験の人達はこんなことを普通に体験していたのだろう。
ヒッピーはすごい!

宮司は、神道の「かむながら」、日本仏教の始点、知らなかった日本の原点をたくさん話してくれた。
言葉が宝石のように輝く。
どうしてこれほど面白い思想を日本は歴史からはずしてしまったのだろう。
これは経済にも、社会にも、教育にも組織にも繋がる。
旅の最後に大きなプレゼントをまた一つもらった。
これから始まる道のために。



予想以上に長文になったので、奈良の旅、一つ目の目的は次回に。







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富士   [旅  Travele]

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東名高速を走りながら朝日を見ることが多い。
闇が群青色に輝き始めると、東の海が紅色に染まり始める。
ゆったりとした大きな曲線が悠々と姿を現す。
真っ赤な山頂。
まるで空中に浮かぶ神々の都市。

昨日は東京への帰り道、少しだけ回り道をして富士山を見る予定だった。
残念ながら雲が多かったので富士の神を祀る浅間神社へと行き先を変更。
女神の住む社は朝焼けの富士のように美しく、清らかだった。





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結び   [旅  Travele]

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仕事の合間をぬって三浦半島に行くことが多い。
鎌倉から葉山にかけての海沿いの散歩道。

カメラを片手にゆっくりと歩く。
山や樹々からはいまだ鎌倉時代からのエネルギーを感じる。
もともとパワフルな土地ゆえにここに幕府をおいたのかもしれない。
江ノ島も縄文時代からの海上の要所であり、古代からの聖地であった。
写真を撮るということは、そんな時代からこぼれ落ちた大切なものを拾い上げることかもしれない。

空を見上げる。
呼ばれたかのように雲が広がる。
大地と天の交わり。



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時のなごりの中で遊んだあと、帰路につくまでに心を取り戻す。
たまたまMPプレーヤーからはレゴンが流れてきた。
ガムラン講座では覚えるのが苦手だったプガワからプゲチェの今週の録音。
なにも考えずにただ聴いている。
王子と王女の物語。
心がゆらゆらと揺れる美しい旋律。
いままでは覚えることで頭がいっぱいだったが、その艶に思わずクラクラとした。
王子と王女の物語と、歴史からこぼれ落ちた地が、自分の中で結びあった気がした。

生と死の究極は、色気ではないかと思うことがある。
真っ赤な血、情熱の赤、情念の炎、深紅の夕陽、昇る太陽、マグマが彩るボルケーノ・レッド。
地球も人も赤によって結ばれ、赤い色で産まれてくる。
波音の繰り返しの中でシャッターを押した。
なにも見ずに、なにかを探しながら。






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 [旅  Travele]

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糺の森(ただすのもり)
賀茂川と高野川が交わるところの原生林。
京都にまだ神社はなく、人と神の境がいまほど遠くなかった時代、この地で人は神と交信した。

前日の夜に仕事を終え、スタッフと共に京都の味を楽しんだ。
その後、宴はまだ続きそうだったが、ホテルに帰りこの森に行くために睡眠をとる。
朝食をとる時間も惜しく、朝の気配を感じたいためにバス亭へと急ぐ。
まだ靄の立ちこめる森に現実の中で着いた塵が落ちていく。
小道へと入り、古代の祈りの場に近づこうとするとカラスが鳴く。
風が吹き、枯れ葉が雨のように降り掛かる。
何かが自分の存在に気づいたのだろう。
川の水は透明で木漏れ日が跳ねている。
光と水は僕の写真の生命でもある。
何も考えずに5分待つ。
ゆっくりと森へ視線を戻す。
色が変わり、気のせいか先ほどより空間が膨らんで観える。
ようやくこの場にいることを許されたと感じる。

ゆっくりとカメラを構えるが、じっくりとは撮らない。
じっくりは現実の世界を、捨てきれない自分の思い込みという無智なる世界への扉になることもある。
感性を遊ばせてみることは、捨てることと繋がっている。
その時に撮った写真がいいかはわからない。
とてもいい作品が出来上がったときは、なぜそのようになったかを逆算すればいい。
作り上げることは無になることでも、逆算すればある方式はできあがる。
芸術は数学にも似たところがある。
どれだけのたくさんの方程式を持っているかが作りての力量となる。
偶然は、ある数式の延長線上にあると考えてもいいと思う。
決して遠いものではない。

僕は偶然という方式を授かるためにこの地へ向かいたかった。





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雑煮のような写真 [旅  Travele]

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徳島で雑煮の話をした。
白味噌の中に餅が入っているのだけど、その餅にはなんとアンコが包まれているという。
日本中いろいろな雑煮があることは知っていたけど、アンコ入りの餅は知らなかった。
食べてみたい。

旅をしていると不思議な食べ物に出会う。
B級グルメではなく、その土地に昔からある食べ物。
米ができない土壌だったり、魚が捕れない地方だったり、肉が高価だったり、寒かったり、暑かったり、それ故にいろいろなものを代用し、その土地の食が生まれる。
スーパーの総菜売り場にいくと東京では見れない調理したものが並んでいる。
海外のマーケットのように派手ではないが、時間がある時に探索してみるのは楽しい。

かつて料理写真を撮るときには「美味しそうに、奇麗に」ということを考えていた。
最近は「料理の力だったり、勢いだったり、しずりだったり、ときには色っぽく」そんなことを考えて撮る。
それはきっとポートレートや、私的風景の世界にも似ているのかもしれない

写真は感性の時代へと移ろうとしている。
デジタルで簡単に撮れ、パソコンで簡単に補正でき、合成する。
手軽さゆえに、一般に言う写真知識がないほど大胆な作品ができあがりもする。
とくに若い女性の感性がそのまま写真になると、そんなものもありなのかと衝撃を受けるときもある。
感性が歩き出す時代は楽しい。

自分はベテランだとも、年をとったとも考えることはないが、これからの時代も面白いと思っている。
いろいろなものが、人達が、融合し、化学反応をおこす。
そんな写真の時代が来るだろう。
コーディネート力、縁結びも大切。

そのためにはもっと撮ることを楽しみたい。
それが個性の写真となる。






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たびたび四国 [旅  Travele]

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やはり飲んでしまった。

海老、釣り鯖、この季節なのに新鮮で濃厚なウニ。
瀬戸内の魚と銘酒を堪能したあと、松山の友人に連れられ開店50年のバーに行く。
ビールはない。
そのかわり、とても飲みやすいハイボールを作ってくれる。
ウイスキーは飲まない僕にも、琥珀の液体がまろやかに感じる。

日本各地の繁華街を歩いて目にするのは歩く人の少なさと、シャッターの閉じた店の多さ。
松山のアーケードで感じたのは、掃除がいきとどいていることと、ディスプレーなどにもアイデアがあること。
人が集まる町づくりをそれぞれがしている。
帰るとき、また来てみたいと必ず思う。




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来週、再び四国へ。

お遍路さんをするのではなく、飲みにいくのでもない。
食べに行く。
あるところで、ある料理を撮る。
このことは来月発売の『danchu』で。

週の後半は京都。
いったい何年訪れてないだろう。
こちらはある有名大学で名物教授のポートレート。
こちらもいろいろと楽しみである。




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少しだけお知らせ。

発売中の『PRESIDENT』11・30号で仲代達矢を特集しました。
書店、コンビニなどで目を通してみてください。

『danchu』の別冊、『世界初!まるごと一冊 ソース焼きそばの本』
巻頭グラビアから楽しめます。
気軽で、温かくて、ソースがきいていて、まるで焼きそばのような本。
いままでなかった楽しい料理本。
僕も少しだけ撮っています。
ぜひ手に取ってみてください。





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旅とも [旅  Travele]

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松山に来ている。

仕事の旅にも、遊びのフィルムカメラをいつも持っている。
これを使って撮影する時間がなくても、精神安定剤のようなもの。

今回はコンタックス。
久しぶりに手にしてみた。
その感触にあらたなイメージがひろがる。

雨の四国。
しっとりと、ゆったりと撮影を楽しみたい。



追記
昨日の夜は撮影が終わったのが深夜11時30分。
夕飯は0時を回ってから。
今日の日程はすでに終了。
飲む時間が増えそうなのが少し怖い。。
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つながり [旅  Travele]

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東北の山々を歩いていると「熊に注意」という標識を見かける。
森の中からひょっこりと現れたら怖いなという思いと、見てみたいという気持ちが交錯する。
もちろん危険のない距離感で。
数年前にカモシカと20メートルも離れてないところで遭遇したことがある。
まん丸い目でこちらを見ていた。
樹々は紅葉し、雪は舞い始め、カモシカと2人。
忘れられない光景。

「熊の毛を2〜3本でいいから持っていると魔除けになるよ」と取材スタッフが話しはじめた。
「ふ〜ん、熊の毛か...」と思っていたら、我が家に熊が一匹いることを思い出した。
もちろん飼っているわけではなく、小さな熊の毛皮。
奥会津に撮影に行った時、マタギの経営する宿に泊まったことがある。
優しくて料理が上手な80代の夫妻とその弟夫婦とで、夜は囲炉裏を囲み飲んだ。
酒をすすめるのがうまく、取材スタッフはしこたま飲まされることになった。
酔うほどに壁に掛けられた熊の毛皮が気になり始めた。
2メートルはゆうにある大きな熊と、1メートルほどの小さな熊。
大熊のほうは目にはガラス玉が入り牙もすごい。
いっぽう小熊のほうはなにも細工されずに、静かにその場にたたずんでいる。
僕は小熊を手にとり、肩にもかけたり、それと遊んでしまった。
それを見た宿の主人がいきなり「それ東京に持って帰れ。それがその熊の運命だから」と言い始めた。
奥さんは「ワタシもそう思っていた」と続ける。
弟夫婦も「そうそう」と笑っている。
状況をよく理解できないままとりあえずその日は自分の部屋に持って帰り、布団の上に毛皮をかけて寝ることにした。
朝起きてみると、野生の気配がまだしているように感じた。
熊のことは酒の席でのことと思い、主人に返しにいく。
しかし「これは運命」とやはり昨日と同じことを繰り返す。
結局たくさんの山菜の土産と共に熊は東京に来ることになった。

日曜日の深夜、ロケから家に帰るとこの熊のことが気になった。
月曜日にはホコリを払い、久しぶりに毛布の上にかけて寝てみることにした。
僕はこの熊に守られているのだろうか。。

火曜日は4ヶ月ぶりに平和島にあるガムラン講座に復帰した。
みんなの演奏する姿を見ていると品格がでてきたことを感じた。
ガムランの前に座っている姿、その間合いがとても自然で美しかった。
きっとガムランも喜んでいるだろう。
心和む夜だった。





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グレー [旅  Travele]

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秋晴れが続く。
明日からはまた旅の日々。
週末は神奈川県秦野市に一泊、そして翌日から一週間の東北ロケ。

この時期の東北はとても絵になる。
空の青は透き通っていて、雲は表情がゆたかで、光線の角度もいい。
いい写真になる条件は揃っている。
しかし、僕に求められているものは目の前にある風景ではなく、夏と冬のあいだにある風景。
冬は、季節の意味だけではなく、人としての冬も意味する。
それは熱帯の島バリで、昼と夜のあいだにある風景を撮ることにもにているのかもしれない。

一般に、白と黒がはっきりしないことは良くないことだと言われる。
グレーの持つ意味もプラスではない。
しかし、写真はグレーなど中間調が多いほど美しい写真ができあがる。
人としても厚みもでる。

輝くグレーを求める旅もいいかもしれない。



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バッタリ [旅  Travele]

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海外への長いフライト。
隣に座る旅人に自分から話しかけることはないが、ときおり声をかけられることがある。

お互いに一人旅のときが多いが、そのときは年齢のいった夫婦だった。
最初はバリについて訪ねられる。
食べ物のことや、バリのいいところ。
海外旅行の経験は少なく、いままで子供達のために頑張って働いてきたという雰囲気が漂っていた。
いい家族なんだなと聞いている僕まで嬉しくなってくる。

食事中にワインをもらう。
それまでビールを飲んでいたそのお父さんもワインにかえる。
少し酔ってきたのか、話に力が入ってくる。

今回の旅行は娘さんの結婚式について来たという。
新婚カップルは後方に座っているらしい。
「おめでとうございます」と僕は言うがあまり嬉しそうではない。
「おれ、相手の男性、好きじゃないんだよな…」
「え!」言葉が返せない。
奥さんがとめに入る。

ニュージーランドの北のはずれでフェリーに乗った。
同行するはずだったライターさんは成田空港に現れなかったので一人旅。
どうやら出発日を間違えたようだ。
船には東洋人が一人乗っていた。
視線を感じる。
デッキで写真を撮っていると声をかけられた。
ニュージーランドの資料の多くは来なかったライターさんが持っていたので、こちらに留学しているという彼にいろいろと情報をもらう。
家族のことを聞くと、東京に家があり、兄弟は編集者をしているという。
出版社を聞いて驚いた。
僕は昨日まで彼のお兄さんと仕事をしていた。
そしてライターさんが日程を間違えたのも僕とその編集者に原因があった。
その仕事が予定よりもスケジュールが長引いたためにニュージーランドに行く日程を変更してもらったからだ。

海外に行くと、空港で、機内で、ホテルで、友人に偶然に出くわすことがよくある。
打ち合わせをしたいと連絡があった編集者に、「今週は用事があるから来週に会いましょう」とこたえると、翌日にParisの空港でバッタリとあった。
お互いに海外取材ということを伝えていないので驚きは多い。
結局東京ではなくて、パリで打ち合わせをする。
Baliの話をParisでした。
 
シルバーウイーク、どこにも出かけず、ニュースで空港の混雑の映像を見ていたらこんなことを思い出した。
航空会社のマイルも貯まってきた。
今度はどこに行こうか…





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北へ [旅  Travele]

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能登より帰る。

石川県七尾市で仲代達矢のマクベスを観て来た。
能登音楽堂はステージ後方が開閉できるしかけになっている。
密閉された空間で、シェークスピアの言葉が身体の中でピンポンゲームのように弾かれていく。
その言葉が沸点まで達しようとした瞬間、すべてが開け放たれ、能登の山や木が目の前に出現する。
馬が駆け、兵隊が進行する。

いいものを観た。
そして何度も俳優のもとへ通わせてもらった。
撮りためた写真は来月発売の『プレジデント』に掲載される。

能登から帰るとそのまま東北ロケの打ち合わせへと向かう。
月末は1週間ほど東北を歩く。
この地で生まれた芸術家達の原風景のなかで写真を撮っていく。
土地とアート、風土と人間、冬と夏、鬱積と解放、さまざまなものを繋げていく写真を要求されている。
シルバーウイークは作品を観たり資料を読む。
そして自分のなかでもう一度白紙にする。
感性を遊ばせ、泳がせる。
やりがいのある仕事。

巨匠達のことを考えたり、打ち合わせをしたり、また最近考えていることを合わせていく。
絶望の先にあるものは希望ではなく、爆発。

これは芸術だけでなく、あらゆるジャンルでも言えることだと思う。
絶望、鬱積、凍れる冬、すべてが火薬となり、爆発した瞬間こそが芸術であり、始まり。

北へむかう。





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たびたびAloha [旅  Travele]

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ふたたびAloha

今日は、脳みそも、身体もハードワーク!!
ということで、自分にも、みなさんにも、Southern Wind




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Aloha [旅  Travele]

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先週、ラナイ島を旅する友人からメールが届いた。
この島は僕が最初に訪れたハワイ。
そんな南からの風を感じながら、大好きなホテル、Hotel Hana Mauiのサイトを眺めていた。




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(2枚ともHana Mauiで撮影)



日曜日は知りあいの写真家、hanaさんの写真展を観に行く。
タイトルは『ハワイ写真さんぽ』とても気地ちいい写真達。
展示した壁ごと持って帰りたいと思う。
この写真をコメントするのは難しい。
それはhanaさんの宝物だから。
帰り際に同名の写真集を買う。
僕はいまhanaさんがよく聞いていると書いてあったハワイのインターネットラジオにコネクトしている。
青空を感じたいときにはちょうどいい。
http://kccnfm100.com/



ということで、今日はハワイイ。



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