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目   [日々]

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昨晩、もうすぐ我が家というところである雑誌の編集長より連絡が入る。
とりあえずシャワーだけあび、再び夜の街へと向かう。
酒量が減った。
以前は大切な用件を打ち合わせたあとは楽しくもあるがダラダラと飲み続けた。
最近は最後までしっかりと話し合うことが増えた。
終戦以来の復興と言われるが、増え続ける倒産、放射能による被害、エネルギー、未だ動かぬ被災地の復興などをみているとこれからは明治維新以来の大きなシステムの変革が必要だと分析する人もいる。
微力でも自分達で、自分達から動けることを考える。
コンパクトに横へ、動きは一層早くなる。

週末暗室計画が今週にスタートする。
すべての暗室用品を静岡へ持っていき、多少のリフォームをして水回りのいい暗室で再スタート。
第一弾は復興チャリティー用に販売させてもらったモノクロプリント。
交通費はかかるが、これからはこの場所でじっくりと制作にとりくみたい。
さまざまのことを考えるとこれもまたいま、動かなければいけない。

夏には友人達のライブやコンサートが毎週あり、所属するグループの練習などを加えると例年この時期はガムラン三昧の週末だった。
耳を痛め、いまだガムランへの復帰はならず、撮影依頼も断らせてもらっている。
たったひとつの趣味であり気分転換、そして大切な友人達とのコミュニケーションの場を失ったことによるストレスはおおきかった。
結果、写真やさまざまなことを学ぶ時間が出来ていまではこの病気になったことに感謝している。
プリントしているときもきっとその音を感じているだろう。
以前は暗室では音楽をかけていた。
バリのプリントのときにはガムランをかけることも多かったがマリア・カラスをはじめとするオペラやピアノ曲もよく流していた。
いまは暗室でもPC作業中でもいっさい音楽をながさない。
外から聴こえる鳥や生活の音の中から自分の音楽を探している。
モノクロのプリントの中に色を感じてもらうことと似ているかもしれない。
色に正しい色はなく、音は流れのなかに存在する。
現像液のなかでゆっくりと、ぴちゃぴちゃと音をたてながら、現れてくる画像。
ときに「自分は天才だ」と勘違いする瞬間。
それがプリントの面白さ。





涼   [日々]

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放射能のことを考えない日はなく、集まればこの話になる。
これから数十年に渡り戻れない町や人がでてくる。
被災された人達の生活や夢は壊されたままにある。
たらい回しにされる子供達の教育環境。
見えぬ明日なら、10年の道を探してあげたい。
故郷に戻れぬなら海外留学などの基金作りもより必要になる。
原子力の安全性が確認できたとこの時期に言う大臣には唖然とするばかり。

暑さのなかで考えること。
首都機能移転が実現されたら東京の人口も温度も変わるだろう。
エネルギー需要も経済も変わる。
自分ができること。
仕事や制作の場を変えていこうと思っている。
取りあえずアナログ作業の拠点を静岡に移すことにした。
老いた両親のためにも。
東海沖地震や原発への不安はあるが実行することが大切。
ひとつひとつ進むことを不器用ながらしていきたい。
そこから広がる縁もまたある。

涼を求めることは作品を創ることと同じ。
暑さゆえに作品もまた生まれることだろう。




撮ること、射ること   [日々]

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ソフィア・コッポラが写真を習いだすときに、巨匠ブルース・ウェバーにアドバイスされたこと。
「レンズは1本買ったら、最低2年はそれのみで浮気してはいけない」

ようやく岡山から帰ってきた。
企画やクライアントのことはまだ書けないが、今回は誌面にしたら約20ページの特集になる。
その8割以上をあるレンズ1本で撮影した。
ロケには9本を持っていったのだが、被写体の優しさを現すにはこのレンズしかなかった。
購入したのは3年程前であり、プライベートではこのレンズをよく使っていたのだが、仕事では他のレンズとの並べたときの相性もありなかなか大きなデビューはなかった。
この仕事が決まったあと、このレンズの特性を掴むテスト撮影を繰り返した。
仕事の出来は準備で決まる。
撮影現場は行かなければわからないことやハプニングの連続。
その状況をいかに楽しく応用できるかは準備と経験、そして信頼。
今回はブルースの言葉も僕とレンズの関係に役立った。

学生時代に弓道をしていた。
無、禅、という言葉を想像する武術だがそこにいきつくまでには徹底的に自分を鍛える必要があった。
強風や雨にも負けず突き進む矢を射るにはそれだけの基礎体力も必要になる。
雨に負ける矢は戦にならないし、いまでも弓道場は野外にある。
軟弱な現代人の僕達は、朝に放課後に各200回づつの腕立て腹筋が義務づけられた。
仕事と似ている。
弓を引くときはその日の気象状況や体調も考え微調整をする。
ここで必要なことは分析と経験値。
矢を放すとき、心に少しでも躊躇があればすべてが負け。
この瞬間、初めて無が存在し、残心の美を知る。

謙虚という言葉と残心は似ているかもしれない。
人も企業も功成したときに必要なのは残心。
政治家は忘れてしまったようだが。

岡山ではさまざまなことを学び、子供の頃、学生時代を思い出した。
明日からは静岡、弟の誕生日には墓前で祝い、そして東京に戻り20代の友人の結婚式に出席する。
その笑顔がいまから楽しみである。
小さな力ながら、国土に平和が戻り、地球が美しくあることを強く祈り行動したい。





言葉なき会話   [日々]

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発売されたばかりの安田菜津紀さんの共著『アジア×カメラ-「正解」のない旅へ』を読む。
写真展では彼女の曇りなき視線と才能の輝きにはいつも驚かされるが、文章を読んでいてもその感想は変わらない。
涙のあとの光の強さをあらためて感じる。

昨夜は友人の安達ロベルトさんのライブに行く。
写真家としてはカメラ雑誌やリコーのカタログなどで活躍している。
昨晩はピアノ、脚本、作曲、演出と音楽家としての才能を見せつけられる。

著書に安田さんの言葉として「覚悟」という文字が繰り返されていた。
安達さんの演奏にも「覚悟」という強さを感じた。
引き返せない状況に自分を持っていく、崖っぷちの心、勝ちも負けも、死ですら自分の責任。
誰をも恨まず、時代も、環境も、あらゆる苦難も肯定的に受け止める。
その中で導きだした答え、そして光。

政府も認めるメルトスルー。
地下水への影響は、東京新聞が報じたような郡山の子供達の鼻血や体調不良の原因は何なのか。
放射能、海洋汚染、産業、交通、そしてなによりも人々の健康と暮らし。
気仙沼や陸前高田などの町としての復興に支援。
今後日本は諸外国に多額の援助を受けるような小国になる可能性があると危惧する人もいる。
何ができるかみな真剣に考える。
音楽も芸術も「支える、創る、共に生きる」そんな強さを作品に、作品から出す波動に現すことができる。
覚悟こそが根源。

これからの日本、地球のためにみなそれぞれの活動を続ける。
芸術でも社会活動でも。
それぞれに覚悟を決めた友人達がいる。
言葉のいらないコミュニティー。
みんなの目が輝いていた。





☆お知らせ  「カメラマガジン」のtwitterより
6/20発売カメラマガジンno.15の東日本大震災チャリティー企画では以下13名のオリジナルプリントを販売します。(敬称略・50音順)安達ロベルト/稲垣徳文/加納 満/小原孝博/セイケトミオ/田中長徳/長島有里枝/ハービー・山口/蓮井幹生/平間 至/松田敏美/森谷 修/渡部さとる

よろしくお願いします。

6月12日   [日々]

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『勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし』
肥前国平戸藩主松浦静山が残し、野村克也氏が引用して話題になった言葉。

成功者を見習うことも必要だけど、それぞれに個性も時代も背景も違う。
思うようにいかないといら立ち、他人を羨みそうになる時には、もう一度自分のことを振り返る。
その度に『負けに不思議な負けなし』という言葉を思い出し、苦い感情と共に反省をする。
努力は楽しんでやれるもの。
そのために必要なのは人間力。
体験した知識ほど強いものはなく、情報は読み手の度量により変化する。
さまざまな思いを胸に抱いた昨日、6月11日。


学び   [日々]

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土曜日にはガムラン講座の演奏会があった。
音の森という新しい名前を得た講座が、輝く新緑のなかへ煌めきの音を解き放している。
いい名前になったなと嬉しくなる。

終了後は仲間達と打ち上げ。
日曜日には写真を飾るレストランにみんなが集まってくれた。

話しているうちに気がついたことがあった。
飲んで騒いでいても、話しだす会話のタイミングが重なったときは「どうぞ」と相手を優先し譲り合う。
自分自身が苦しんでいるときにさえ、相手の苦しみをより深く感じ言葉をかける。
単純にガムランが好きなのではなく、僕はこの仲間達が好きなのだと実感する。
習い事というのは芸の上達以上に、人として生き方を教えているのだと再確認。
僕は仲間達から多くのものを学んでいるし、大切なものを頂いている。

ガムランを習っている人達はあわせて別の芸能を学んでいる人が多い。
雅楽やフラダンス、フラメンコ、クラシック。
僕もピアノを習いたいと思っている。
「月光」を弾きたい。
人生の最後にじっくりと何年もかけてこの曲を追っていきたい。
音を失ったベートーベンの人生の音。
昨日はさらに興味ある月の音楽について教えてもらう。
これにもチャレンジしてみたい。
死ぬにはまだまだ時間がかかりそうだ。

月というテーマ、自然界にあるテーマで、写真でも音楽でも、さまざまな芸術で表現されている。
感動は多いほど人生は豊かである。
今日の撮影は人情を得意とする映画監督。
久しぶりにお会いする。
カメラを持つのが今朝から楽しみである。
これから出発。




繋がり4   [日々]

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「逆光と逆境が得意なカメラマンです」
「どんなカメラマンですか」と聞かれるとたまにこう答える。
今回の沖縄ロケも梅雨入りした状況なので打ち合わせとは異なる展開が予想された。
実際に現場に行かないとわからないことが多い。
「うまくいかない」と感じるときは根本から考え方を変えたほうがいいケースが多々ある。
固執すると悪い方向に進んで行くし、思考がマイナスになる。
絶えずプラスに考えないと写真を見る人の心は動かない。
発想を逆転する、あるいは打ち合わせた手法や構成を逆転することは同行する編集者やクライアントに自分を信頼してもらっていないとなかなかできない。
イメージを伝えることは難しく、結局は信頼関係。
僕は人に恵まれていると思う。
才能に恵まれていると思えない自分には努力しかない。
それもまた力。

沖縄のデータ作業が思ったより早く終わったので週中からは少し時間ができた。
ブログを書き、資料を読む。
読みたい本も山のように机の上にたまっている。
ブログを始めたきっかけは書く癖をつけることだった。
一日に数人のアクセスがあればいいと考えていたのが、ありがたいことに500アクセスを超えるようになってきた。
どんな人に読まれているのか少し怖くもあるが励みにもなる。
たまに一緒に飲む大宅賞作家や編集者などに「文章うまくなったね」などと冗談でも言われると恥ずかしくてその場にいれなくなるが、少しだけ嬉しい。

ブログを始める前からよく魂のことを考えていた。
聖地や霊地でのさまざまな出来事。
寺院での宿泊や夜の神社、ロケ先での数々の不思議な経験やそこで聞いた体験談。
生死のかかった瞬間での不思議なこと。
お経の力や、出雲のカラサデで知った祝詞の底力。
ロケに出るのが怖くなったこともある。
じょじょにそれは調和の元にあることを知る。
それが先祖や歴史への敬意となり、未来への祈りとなるのではないだろうか。

さすがに個人ブログでも魂のことは書けないと思っていた。
アラスカの写真家・星野道夫さんや、吉本ばななさん、田口ランディーさんなど、女性にも愛されるベストセラー作家達が魂のことを書き始めた。
宗教とは関係なく、日常のこととして。
震災の後、人の原点は何だろう、国という枠は発想を貧困にしないか、心が繋がるってどういうことだろう、そんなことばかり考えるようになった。
いま、小さなレストランで写真を飾っている。
ガムランとのライブでは234枚の写真をスライド上映した。
たくさんの写真を見てセレクトした。
基準はファインアートや芸術性ではなく心の憂い。
写真家にとってこれほどの枚数を見てもらうということは、自分が裸になることに等しい。
どれほど美しい言葉で飾っても写真はその人の全てを語ってしまう。
憂い、哀しみ、希望、祈り、地球、未来、結局は魂の言葉でしか自分の写真をいい現せないことに気づく。

1986年、三原山の噴火を深夜の漁船から見ていた。
週刊誌のカメラマンとして取材中に。
それ以来、火山国日本のこと、火、日、そして霊(ひ)、そんな繋がりも考える。
自然科学を勉強したい。
そして魂のことも学んでいきたい。
人として。



おしらせ   [日々]

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21日(土曜日)に羽根木公園で音の森ガムランスタジオの演奏会があります。
13時より入場無料。
お時間のあるかたは遊びにきてください。
ほんわかとやってます。
http://gamelan.otonomori.jp/




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なぜか今年も徳島にお好み焼きを撮りに行ってきました。
前回は「お豆さん」を使ったお好み焼き。(写真の上)
徳島では「金時豆入りちらし寿司」が一般には有名のようですが、その豆はお好み焼きにも使います。
今年は「カツ」を使ったお好み焼きを取材。(写真の下)
このカツは徳島空港の土産物売り場にも置いてあるので知ってる方も多いでしょう。
カレー味で美味しいこのカツは動物の肉ではありません。
詳しいことを知りたい方は発売中の『danchu』をご覧ください。
徳島のお好み焼きは味も人情もお勧めです。
富山の「昆布玉」もとても美味しかったです。
twitterでも話題になっていたようです。




繋がり3   [日々]

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バリ島の古い村トゥガナンの籠のデザインと、ヨセミテのネーティブ・アメリカンが作る籠がとてもよく似ていた。
グリーンランドのマーケットで出会った老婆に思わず抱擁したくなるほど同じ血を感じた。
「一万年の出会い」という言葉が浮かぶ。
かつてベーリング海峡を歩いて海を渡った人達。

19才で故郷を離れる日、子供の頃から遊んでいた神社で旅立ちの報告をした。
これから戻ることのない旅が始まる予感がした。
出雲ではこの大社こそ日本全国の氏神なのだと感じた。
ここにくれば八百万の神に会え、そして日本各地どの神社に行っても、どこに住んでいても出雲を思えばすべてが通じる。
仕事も、被写体も、出会いも海外が多くなり、日本でも聖地と呼ばれる地へと出かけるとき、心の氏神様が欲しかった。
忘れていたことだが、僕の名付け親は出雲大社の神主さんでもあった。
結婚式も出雲まで出かけ、この神様の前で式をあげた。
出雲は海神の民の末裔。
スサノオは一族達と大陸に渡り交易をした。
旅人としての発想は国を超えていた。

震災の後、この国の行く先を考えることが多くなった。
政治も経済も末端まですべてのシステムに垢がこびり付いている。
変革はとても難しい。
国という存在の意味も考える。
若きジャーナリスト達には国境はなく、その行動や思想にまだ国という存在がなかった頃のアジアの交流を考える。
五千年前のこの列島に住む人達は私達が想像するより遥かに広大な繋がりをみせていた。
列島に、南太平洋に、朝鮮半島に、さまざまな交易の後が残っている。
いったいどんな船で海を渡り、どんな言葉で語り合ったのだろう。
ナイノア・トンプソンがハワイから沖縄まで星をよみ航海したことを思い出す。
私達も星の航海士の末裔。

多くの祭りの自粛が決定された。
この夏はいろいろな意味で暑くなるだろう。
経済の回復も思うようにならず、震災の被害の大きさ、影響をあらためて知る。
いらだちが暑さと共に沸点へと向かう可能性がある。
今年こそ大きな祭りをするべきかもしれない。
神様の前で、罪穢れを浄め祓うことが必要なのかもしれない。

バリでは祭りで祈るとき、まず最初に自分が空の気持ちになるように心を落ち着かせる。
線香の煙で手や身体を浄め手をあわせる。
次に花をつまみ、頭の上のほうで手をあわせる。
そのときの祈りの意味は、この宇宙が地球が幸せになるように。
次にまた新しい花をつまみ、頭の上で手をあわせる。
祈りは続く。

バリでの祈りの意味を知り、受けた衝撃は計り知れなかった。
いままでは神社や寺院で自分のことや身の回りにいる人の幸せしか祈らなかった。
はるか南の島で、はるか昔から、この人達は宇宙や世界のために祈っていてくれた。
自分の幸せを祈っているあいだにも。
その後日本でも、バリで学んだように宇宙やそこに住む神様のために祈ることから始めるように心を変えた。
遠い昔は日本でも祈りの意味もバリのようであっただろうと考えながら。

幼き日の夢は考古学者になることだった。
歴史をとるか写真をとるかは高校三年生の時、受験まで迷った。
バリでバロン・ダンスを見た時は、子供の頃にテレビで見た南の島の仮面劇の衝撃を思い出した。
いろいろな糸が繋がっている。
ハワイに行くとカヌーやタトゥー、さまざまな夢を見る。
そして自分は海洋民族の末裔だということを実感する。

生死の境と感じたことが二度ある。
産まれるときも母は医者に「産めば母体が危険」と言われながらこの世に命をもらった。
そんなこともあり昔から自分の命は自分のものではないと考えている。

カヌーの行き先はいまだ解らない。
ただすでに海流に乗ったことは自覚している。
人々を幸せにというような大それたことも言えない。
遠い昔、さまざまな島から、大陸からこの島に多くの民が渡ってきた。
天河神社の宮司さんに「神武天皇が九州から熊野の地に踏み入れたとき、熊野に住む人達は闘わず、受け入れたのはなぜですか」と聞いたことがある。
「もてなすことが古くからこの地に住む人達の心です」というような意味の答えが帰ってきた。
僕はそのときにもてなす島に住んでいたのか、もてなされた人達のなかにいたかは解らない。
まだ住んでいなかったかもしれない。
いまこそ、もてなしの心で、再びこの島から、この時代から漕ぎだしたいと思う。



追記
先ほど友人の写真家・安達ロベルトさんよりメールをいただく。
「祈ることと繋がることは似ている」
まさに自分の写真は、祈ること撮ること、そして繋がることであるように思う。
繋がりながら、時間や空間を揺れながら。
英語では撮ることをシューティングというが、僕の感覚はシンクロ。
日本の写真家達にもその感覚を持った人は多い。
若くて素晴らしい才能を持った作家がたくさんいる。
そんな仲間達にいつも元気と刺激をもらっている。
感謝!


(僕、島、広い意味で書いています)

繋がり2   [日々]

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社会人になりサッカーと歌舞伎を追い始めた。
人物を撮るには経験値も少なくまだ若い自分でも、スポーツ選手なら比較的年齢も近く感覚的にも理解できるものがあると思った。
歌舞伎はある役者が好きだったことと、日本を学びたかった。
ゲネプロの日の撮影はカメラマン同士が顔なじみになり、フリーになってからは仕事を紹介してくれたり、新聞社からは就職を誘われたりした。
演劇雑誌などからも声がかかり伝統芸能の撮影依頼が増えた。

バリ島に行くようになり、同じように日本も撮り、バランスをとることを考えた。
出雲には何度か通い神楽を撮り始める。
神楽の話をよくする僕に高千穂や早池峰での神楽撮影の話が舞い込むようになる。
雅楽や声明にも揺さぶられた。

バリやハワイを知るほどに環太平洋の音楽や祈りに興味を持ち始めた。
ガムランであり、フラのカヒコであり、ネイティブ・アメリカンのダンスなどに心を持っていかれた。
ふと考えると裸足で踊る芸能、そこにある音楽が僕の魂には直接響いてくるようだ。
日本は古い山岳宗教やかすかに祈りのにおいが残る場所。

太平洋の島々を歩いていると、海が人を運んでいることを実感する。
出雲地方では神社の神紋は亀甲が描かれ、海洋民族であることを現している。
カヌーという言葉は日本書紀にも登場する。
「狩野」と書かれ「かの」あるいは「かぬ」と読む。
伊豆の狩野川で作られた狩野はとても早いスピードで海を走ったという記録がある。

海と大地を繋げる芸能は、その感謝のために身を清め、心を正し、裸足で大地に立ち踊る。
足裏に感じる地面の温かさと痛さが「捧げる」ことに通じるのかと考える。
日本が忘れてしまったことは足裏の痛みなのかもしれない。
革靴で踏みつぶしてしまう日常に大地の痛みは気づかない。
環太平洋の旅は、裸足の旅でもある。




☆ 火山のことを調べていると縄文、アイヌ、ポリネシアと繋がってくる。
海と火山、面白い。


繋がり   [日々]

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土曜の夜に沖縄から帰り、日曜にガムランとのコラボ。
そして今朝から沖縄写真のデータ処理。
頭がチャンプル状態。
心地よい疲労感。
ライブに来て頂いたみなさんに感謝。
Terang Bulanの演奏は温かく伸びやかで、琴江ちゃんの踊りに可能性の楽しさを知った充実した一日だった。

『NPOみんつな』の仲間達に声をかけられ行ってきた陸前高田。
ニュースで見る映像の数十倍の衝撃。
津波は幾重にも重なり町を飲み込み、川や線路を駆け上がり、瓦礫の海をつくる。
その場所に立つと「ここは月の上なのか。クレーターのなかに紛れ込んでしまったのか」と思った。
僕が地球上で見てきたものとはまったく違う風景、匂い、気配。

陸前高田では小学校の入学式の撮影をさせてもらう。
被害にあわれた写真館の方々に変わり市内の小中学校の入学式の撮影をさせて頂き、写真やデータを学校やみなさんにプレゼントさせて頂くプロジェクト。
地元の写真館が復興するまでのお手伝い。
http://www.mintsuna.net/

岩手から長い時間をかけて家に帰る。
そしてまた時が過ぎる。
明らかに心の中で何かが変わっていることは理解できる。
しかしそれが何かはわからない。

ある時、自分が考えることの主語が変化していることに気づく。
「私は…」から「私達は…」へ。

自分の意見をはっきりいうことを学校で学んだ。
仕事でも相手よりさらに優れた考えを伝えることが、できる人であり、金を産む人であった時代。
単数から複数へ移りゆく。

震災は続いている。
いまだに瓦礫の海は広がり町の再建計画はできていない。
福島原発はまだ人間の管理下になっていない。

新しい町づくりは未来の共有でもある。
「私達」という意識が繋がるときに産まれるエネルギーが復興の扉。

「私は」という表現も怖くなった。
断定する意見は無知の証明でもありえる。
正しい正しくないという以上に「私はここまでしか知りません」ということを示す。
撮影の現場では最年長になることが多い。
撮影前に気をつけていることは一度自分の気持ちをおさえ、まわりを持ち上げること。
笑顔を増やしていき、視野が広がってくると、感覚はより冴え、徐々にみんなの意識が繋がってくる。
僕にとってはガムランするときと同じ。
ガムランから学び、取り戻した日本らしい心かもしれない。

ガムランを初めて聴いたときの感覚のように、世界を旅するとここは自分に縁のある(あった)場所なのかなと思うことは多い。
バリの祭りでは風の起こる場所を感じ、神降りる祠の後ろに自分の意識を感じた。
沖縄でも、ハワイでも、声を知り、遥か昔を感じ、自分の過去を思い描いた。

日本人であるとともに、地球がひとつであることを旅は教えてくれる。
島は世界であり、世界は島であり、すべての親は地球。
最近はミクロの世界をよく撮っている。
花や鳥、小さな命のなかに地球の歴史を考えている。
その時間の流れこそが被写体であり、希望。
命の終わりもまた未来。

自分はなにびとでもかまわない。
ただ遺伝子に組み込まれた膨大の記憶を少しでも解きほぐせれば嬉しい。
風が通り過ぎ、風もまた大地と繋がる。
人は昔、大地より生まれた。




some day [日々]

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テレビを見て思い出した。
高校生のときに大好きだった日本のアーティストはサザンと佐野元春。
いつも聴いていた。
ユーミンも流行っていた。

社会人になって、フリーランスになって、サザン以外の憧れのアーティスト達とは仕事ができた。
撮影中にユーミンには「ユーミンさんって呼んだらいいですか?」とたずねたら「ユーミンちゃんと呼んで」と言われた。嬉しかったけどさすがに呼べなかった。。

佐野さんのアルバム・ジャケットはビリー・ジョエルと同じくらい好きだった。
ジャケ買いした最高アーティスト。
雑誌の仕事で佐野さんを撮影してから数ヶ月イタリアに行っていた。
帰国すると佐野さんの所属事務所からCDが届いていた。
「佐野が写真を気に入っていたのでマスコミプレゼン用のCDジャケットに使わせていただきました。連絡がつかなかったので事後報告になってしまいすみません」嬉しい知らせ。

写真は自分が撮るものであっても、自分のものではない。

some day.


(懐かしい写真。その時の写真)

傘   [日々]

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傘。
19才で上京してからだろうか。
屋根の下で休むというより、傘の下で雨をしのいでいるような感覚がある。
それはまだ自分のやるべきことに満足していなからなのだろう。

旅先でスコールに降られ、店の軒先に駆け込み、吹き込む雨に傘を探す。
夕暮れの大通りは、しぶきをあげてバイクが走り、傘をさした親子連れが小走りに通り過ぎる。
突然の雨は感情を解き放つ。
ざわめき、彩る。
僕は雨に濡れないようにカメラバッグを胸元に大切に抱え、時おりカバンからだしては小さくシャッターを押す。

雨は小降りになったが、やむ気配はいまだない。
宿に帰ろうか、それよりも夕暮れの街で温かいものを食べたい。
話し声、笑い声が聞きたい。
汗かくような湯気が見たい。
食堂の笑顔がとても恋しい。

何を求めてきたのだろう、何を探しているのだろう。
何を失い、何を得たのだろう。

明日は東北のある町に行く。
やることは町の無料写真屋さん。

父親は60年ほど前に静岡で写真屋を開業した。
カメラ一台で。
照明写真の白バックもなく、近くのお寺の白壁を使ったという。
先輩写真館には相手にもされなかった。
その後持ち前の頑張りで、地元では知られた写真館になった。
本来は長男の僕が継ぐはずだった。

地元を捨て19才で旅に出た僕が、被災地から縁をいただき、自分のためではない写真を撮らせていただく。
原点は写真家でもなく、カメラマンでもなく、ジャーナリストでもなく、写真屋さん。
僕には屋根は作れない。
しかし傘なら、そっと差し出せることができるかもしれない。



おと   [日々]

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ガムラン。
きっかけはジャワ島プランバナン遺跡。
満月の夜の優雅な時間。
初めてこの音を聴いた瞬間「僕はこの音を知っている。遠い昔ずっとこの音を聴いていた」と思った。
翌年にはバリ島プリアタン村ティルタ・サリの日本公演があった。
翌日バリ島行きの航空券を買った。
それから20年。

写真と同じように、ガムランとバリを愛した。
40回行ったのか、50回行ったのか、もはやわからないし、年に100日近くいることも数年続けた。
友人達に誘われ「絶対に無理」と思っていたガムランを習い始めた。
仲間達と鳴らすガムランにますます夢中になった。
講座の初心者クラスでは、音は未熟でも若々しく楽しさが溢れている。
20歳も離れた友人がたくさんできた。
中級者上級者達が交じる下町の奉納ガムランは個性豊かな男性も多く、いかした集団。
ここで鳴らすバロンの音はいつでもゾクゾクする。

ちょうど一年前に耳を壊した。
最初の診断は突発性難聴と顎関節症。
しばらくし聴覚は戻るが痛みが引かない。
音がすると激痛が走る。
病院を変えても原因はわからず、鍼治療にすべてをかける。
鍼のおかげで現在は日常生活での痛みは引いたが、大音量で高周波のガムランはまだダメ。
友人の紹介で行った気功師には「鍼のおかげずいぶん良くなりましたね」と言われた。
しかし痛み以外の耳内部での異常は続く。
もう一度大学病院に行ってもやはり原因不明。
「完治まではガムラン禁止。治っても患部の神経が敏感になっているので演奏は無理かもしれません」と鍼の先生には言われた。
飛行機の気圧のことを考えると海外ロケには行けなくなるかもしれないと心配していた耳を、ここまで治してくれて本当に感謝している。なんの問題なく飛行機には乗れるようになった。

数年前からガムランと写真のコラボをしている。
こんな耳の状態にも関わらず、耳に負担のない構成を考えては仲間達は誘ってくれる。
僕が部屋にいないときは激しくかっこいいガムラン。
コラボ曲はしっとりだったり、楽器を変えたり、いろいろなことを考えてくれる。
そこから新しいものがまた生まれ、育つ。
来月にもまたコラボをする。
詳しいことは後日。

ガムランからは直接には離れてしまったが、そのことにより得た感覚がある。
音を写真にしたい。
ガムランの、仲間達のバックアップは今まで以上にしていきたい。
それがこれからのガムラン。

バリのオダランで、あの音を聴きたい。
『おと、めぐる』




http://motosbulan.exblog.jp/13388822/


わ!
すごい揺れ。
本棚から落ちたバリの彫刻が、床の上で立った!!

友へ   [日々]

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この春、ともに花見をしようと話していた友達に…



花へ      [日々]

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久しぶりに古謝美佐子さんのコンサートに行く。

古謝さんは沖縄を代表する唄者で、この島に行くとCMにもよく登場している。
代表曲の童神は多くの歌手がカバーし、初代ネーネーズのリーダーでもあった。
僕は7〜8年ほど前にどうしても会いたくて、雑誌の取材を企画し、沖縄へと飛んだ。
それ以来ジャケット撮影を任せてもらったり、昨日発売の最新アルバム『日々是好日』では、歌詞カードの中に僕の作品を使ってもらっている。
人の後ろを歩くのは苦手な僕だけど、古謝さんの後ろを歩くときはとても気持ちがよく、安心する。
古謝さんがもつ不思議な魅力。

情け唄を歌うときには涙するお客さんをよく見かける。
写真を撮っている僕もウルウルとする。
撮っていて、もっともピントが合わせ辛い人。
そんなときは半分だけファインダーをのぞき、あとはその時に受けた感覚を大切にシャッターを押す。
昨日はいい写真が撮れた。

昨夜は東北の方々への多くのメッセージが唄に込められていた。
日本全国に熱烈なファンを持ち、命の尊さを歌う人。
ある一瞬、その唄声に、高僧が魂を込めて唱える経を感じた。
魂と魂を繋げた瞬間。
そして自分が目指している写真の行方を知った。
家族が被災にあい、被災地で頑張っている彼とその仲間達からメッセージが届いた。
再来週にはその地に行く。
古謝さんが送り出してくれた気がする。

大切なこと、偽物の言葉。
尊厳と、権力。
一ヶ月で様々なことを見たり聞いた。

桜が咲き始めた。
今年は花を観る人が増えるだろう。
そしていろいろな想いがよぎるだろう。
忘れられない桜。
花のなかの小さな命をたくんさん感じるだろう。





お堀沿いの桜。
今年はライトアップされていない。
よく見ると、花そのものが淡く輝いているように感じる。
照明をあてない夜桜もいいものだ。
昔は月明かりだけで花見を楽しんだのだろうか。

いま、これから、、       [日々]

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「左前方に富士山が見えます」と、機内アナウンス。
早朝の飛行機には2割ほどしか乗客はなく、通路右側にいた僕はカメラを持って左窓側へと移動した。
下方には懐かしい御前崎の景色が広がっていた。
岬の右側の砂浜をたどっていくと、生まれ育った家がある。
岬の左側の砂浜をたどると、原子力発電所が建つ。
原発は津波がきても大丈夫と数字をだして説明しているが、海上保安庁及び気象庁の予測によると、東海地震発生時にはさらに大きな津波の襲来を予想している。
原発についての論議が盛んになった。
エネルギー問題がようやくスタートした。

最近、著名な経済評論家達が「総量規制は、需要のピーク時間帯をどう抑えるかだ。深夜のコンビニは需要が少ない時間帯なので影響はない」「電力消費がピークに達する朝の9時前後と、夕方の7時前後の以外の節電は意味がない。現在は行きすぎた自粛ムードになっており、このままだと莫大な経済損失が生まれる」などと言っている。

僕のような素人が考えることは間違っているだろう。
しかしこの時期にこのようなことを言うのもどうかなと思う。
いまは日本中が、みんなで協力し、助け合おう、という絆を作り、行動を起こすとき。
無駄をなくし、いままで自分達がしてきたことを考えるとき。
そのうえで、これからの日本を考え、エネルギーのことを考える。

消費が少なくなればそれは日本の、国民の危機というのは当然のこと。
しかしそれだけではないことを、今回の震災は教えてくれたのではないだろうか。
暮らしや文明は、足し算により進歩し、かけ算を覚え、消費を奨励した。
それが経済の発展であり、人々の暮らしが豊かになることであった。

震災、その後の節電により多くの人が考えたことは引き算も必要だということ。
日本の産業は、景気は、さらに悪化すると予想されている。
復興には、一度引いて、無駄を考え、新しい消費の形を考えることも必要なのではないだろうか。
エコの意味はここにもあると思う。

先月31日、柏崎原子力発電所が建つ柏崎市議会で東電が福島第一原発の事故について謝罪した。
議員から「原発を動かすのは許されない」「電気の供給と我々の命、財産と、どちらが大事なのか」といった意見が相次いだという。
時に少しヒステリックな叫びには「その原発を誘致したのは私たちだ」という声もあったという。
これがいまの日本。

みんなが悩んでいる。
もがいている。
被災した方々、衝撃的な映像でショックを受ける人々、放射能に怯える東日本、東京。
応援したくても、力になりたくても、何をしていいかわからない人達は多い。
石川遼君のようにもできないし、カズのようなこともできない。
復興にはとても長い年月と人の力がいる。
どこからでも、いつからでもいいと思う。
思いついたときでいい。
心の継続こそが大切。

コンビニの暗い照明を見て、節約を考え、東北を思い、自分を振り返り、将来の国土を、子供達の未来を考えることがいまは必要だと思う。




※ すごいなこれも。
『ジャッキー・チェン「全財産をチャリティー」宣言、息子への遺産ゼロ―香港』
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110403-00000009-rcdc-ent


少しだけ風温かく       [日々]

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その領域には決して到達できない、尊敬する芸術家が二人いる。
レオナルド・ダ・ヴィンチと空海。
前者は誰もが納得するだろう。
後者は「彼が芸術家?」と思う人もいるだろう。
空海は嵯峨天皇や橘逸勢とともに「三筆」として九世紀を代表する書家でもあった。
初めてその書を観たときの「字が動いている。呼吸している」との感動は、衝撃は、忘れない。
曼荼羅、密教、哲学、科学、建築、文学、すべてが当時の最高峰であり、すべてを重ね合わせた総合芸術こそが空海。
あれほどの思想と行動は、その後の日本にはないと思う。
嵯峨天皇の時代、都では疫病が流行り多くの人達が世を去った。
空海は天皇に般若心経を書き祈ることを勧めた。

弟の三回忌でのお経を聞きながら、そんなことを漠然と考えていた。
お経には特別に興味はなかった。
きっかけはやはり弟にある。
さまざまな式で僧侶の経を聴いていると、その力によって何かが動きだすことを感じる。
それは経の力なのか、僧侶の想いなのか、僧侶と聴く人と経というものを繋いだ総合的なものかはわからない。
経というものは科学ではないかと考える。
計算式で現す科学ではなく、実践とインスピレーションとが入り交じった、計算式がいまだ発見されていない科学。
空海には理論と計算式は観えていたのではないか。
ただ説明するには世の中が幼な過ぎた。
いまでも。

震災後、考えることは多い。
世の中がこうであればと思い描くビジョン。
被災地の、その深い哀しみは、僕には解り得ないし、書けない。
放射能の恐怖は、いまだ震災のまっただ中にある。
大きな衝撃のショック、放射能の見えざる恐怖。
ソーシャルネットワークの発達により、情報は早く、発信も広く、多様になった。
地震のときには電話は通じず、結果Skype、Facebook、Twitterが連絡手段であり、情報源となった。
家族には安否確認や連絡手段としてそれらすべてを登録するように言われた。
未曾有の災害のなかで、さまざまな情報を見ることにした。
流れる膨大な情報を見ていると、その中に隠された情報も見えてくる。
ソーシャルネットワークには大きな流れとともに、自分のなかで納得できない何かを今まで感じていた。
震災後、時間が経つごとにその疑問が解けてきた。
ニュースにとって、ソーシャルネットワークは、特に字数に制限のあるTwitterは、新聞や雑誌に例えるとタイトルでありリード。
読む人に衝撃を与えるダイジェスト。
これだけ見ていてはいけなし、誤解する。
人間の感情はその言葉と言葉のなかに埋もれたところにある。
衝撃的な単語が先走りすれば、感情がさらに走る。
言葉足らずは情報がヒステリックになる。

バリ島では「聖と邪」「プラスとマイナス」がすべてにあり、調和がこそが世界。
ハワイでは相手を、自分を許してこそ、安らぎと未来が生まれると説く「ホ・オポノポノ」がある。
日本では「和をもって貴しとなす」と聖徳太子が十七条憲法の第一条に記した。

さまざまな政治が渦巻くなかでこんなことを書くと「バカなヤツ」と笑われると思う。
しかしこれから日本が、未曾有の惨劇のなかで、奇跡の復活を遂げるには、日本であることが必要だと思う。
海外メディアはこの惨劇のなかで、日本人のメンタリティーを賞賛した。
共に支える世界でありたい。
新しい形。

個人的なことだが、わかったことがある。
自分はカメラマン的か、写真家的か、ジャーナリスト的か。
たんなる心の表現者。
それは、バリ、ハワイ、日本、歩き、感じた風の匂い。
こんなことはどうでもいいけど。。

明日からは、富山、奈良、徳島、早足の取材。




明日のために   [日々]

ドイツは、原子力を禁じる初の先進国になる予定だという。AP通信が伝えた。(IBTimes)
http://jp.ibtimes.com/articles/16479/20110324/240596.htm

「浜岡原発は停止を」高校生ら中電に署名 (毎日新聞)
http://mainichi.jp/area/aichi/news/20110323ddlk23040240000c.html




「土曜日前後に東海地震が起こる」という予言があるらしい。
誰の予言なのか、どんなデマかは知らないけど、僕は今日から静岡に行く。
土曜日は弟の三回忌。
久しぶりに父と母の顔を見ることができ、鰻寿司を食べることも楽しみ。
一昨年、静岡で起きた地震では東名高速が崩れ、実家ではガラス戸や食器が割れ、近所では屋根瓦が落ちた。
初盆に用意された安定の悪い精霊馬が倒れていないのは不思議だった。

友人や編集者、誰と話しても、震災のこと、復興のことが話題になる。
被災された方々の暮らしと町づくり、心のケア、産業やエネルギー問題、環境。。。
政府や企業の危機管理能力と倫理観も。

これらの難問、難局を乗り越えるには奇跡が必要かもしれない。
ミラクルは国中が考え行動することによって起こりえる。
ドイツは原子力を放棄し、先進国のありかたを世界にみせようと動き出した。
日本の復興は、世界へ、未来への道しるべを示すとき。
何かが動きだすとき。

未来を憂う優しい心を持った高校生達に、恥ずかしくない行動をしたい。
時代を、未来を繋げたい。




これからのエネルギーについては、こんな意見もある。
http://www.eco-reso.jp/feature/cat1593/20110318_4983.php


原子力に反対すると、原発がなくなると、困る人はたくさんいるだろう。
失業の危機。
かといって電力会社がなくなる訳ではないし、発展のときとも言える。
ガソリン自動車、ハイブリッドカー、電気自動車、自動車メーカーも時代と共に移り変わる。
フィルムメーカーが高性能デジタルカメラを作る。
電力会社は自然エネルギーを極め、安心と技術を世界に売る。
国もサポートする。
マーケットも広がる。
現状からすると、すぐには原発は廃止できないだろう。
それなら、まずは一度停め、点検し、震災について再検討し、設備を強化し、できないものは使わずに、想定外という言葉を使わずに、変わっていけばいい。
原発をではなく、原発で働く人達の生活も守らなければならない。
それを考えないと、議論は先には進まない。

すべての人に幸せがある。
すべての人に平和がある。
すべての人に未来がある。


ドイツの記事にはこんなことも書かれていた。
職を失った人達、景気の悪い現在、とても大切なことだと思う。

『 原子力発電所を止める場合、ドイツは代替エネルギー源を確保するために少なくとも1500億ユーロ(約17兆円)の投資が必要となってくる。ドイツ政府によると、昨年、同国政府が再生可能エネルギー分野に投資した金額は260億ユーロ(約3兆円)を超え、これによりおよそ37万人の雇用を守ったという。』 (IBTimes)


最後に、『有志代表の関口詩織さん(18)は「私たちが声を上げることで、原発問題を継続的に考えるきっかけを作りたい」と話していた。』 (毎日新聞より)
震災で受けた傷を、忘れぬよう、しっかりと、継続的に、明日への新しい道を開いていきたい。




希望   [日々]

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ちょっと不謹慎かもしれませんが、停電で思い出すのは20年ほど前に行き始めたバリ島のこと。

その頃は夜になるとよく停電しました。
田んぼからの夜風が気持ち良い、窓のないレストラン。
寝転んでは闇を眺めていました。

レストランの明かりが消えると、新しい光が訪れます。
蛍です。

バンガローでも同じです。
ベランダにいる蛍をそっと捕まえて、部屋の中にはなします。
ベッドで蛍を眺めながら眠りにつきます。
美しい闇でした。


今日はこれから撮影の仕事です。
ガソリンがないので電車です。
重い機材があるので倍の時間を考えてでかけます。
早く着いたら近くの神社にお参りしようと思います。

新しい光の訪れと、平和を祈って。




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