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謹賀新年   [日々]

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明けましておめでとうございます。

みなさまと共に、たくさんの光と出会えることを楽しみにしています。

今年もよろしくお願いします。







光   [日々]

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静寂   [日々]

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みず   [日々]

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形なきものでもあり
形あるものでもある

雨の音に水の行方を思う朝




とき…     [日々]

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誰もが振り向きもせずに通り過ぎる。
二週間も経てば満開の花を咲かせる。
人は集まり誉め称える。
花が散り人はまた通り過ぎる。



新年とともに   [日々]

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裏山を尾根沿いに歩くと小さなお稲荷さんの祠にたどり着く。

いつもは人気のない所だが、見晴らしがよく、風が通り、ベンチに座っては仕事のイメージを膨らませているお気に入りの場所。
ここで思いついたプランが年明けには早速スタートする縁起のいいところでもある。
晦日の日、初日の出が見れないものかとふと思った。

元旦には手ぶらでいくのも失礼だと考え、果物を持参して夜の明けきらない山道を歩く。
近づくと驚くことに50人ほどの人達が日の出を待っていた。
お汁粉とお神酒のサービスまであり、祠には収まりきれないほどのたくさんの供物が並んでいた。
年明けの最初にお汁粉をいただき、それだけでで心も身体も温まり幸せな気持ちになる。

初日の出は祠と参道と真っ赤な鳥居の向こう側に一直線に昇った。

この小さな神社は元旦の太陽の位置を計算して作られた場所だった。
この小さな祠の歴史をあらためて調べてみたいと思うとともに、この山の気配に包まれて暮らす日々をありがたく思った。


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1月20日開講のフォトワークショップは定員まで残りわずかとなりました。
お申し込み頂いたみなさま、ありがとうございます。

http://www.lohas-moon.com/photo/kohara.html

おとしもの   [日々]

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時代からこぼれ落ちたものを探してみたくなる時がある。
日々の生活から逃げていったものに不安を感じることがある。

カメラを持つとそんなものを探してみたくなる。



まどろみ [日々]

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光のまどろみと、幸せの瞬間はどこか似ている。
冬の光は温かい。



縁ありて   [日々]

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「縁ありて花開き、恩ありて実を結ぶ」

この夏に大分でいいちこの会長から頂いた言葉。
縁が繋がる自分を作りたい。
恩を返せる自分でありたい。



紫陽花   [日々]

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母の日には紫陽花を送っていた。

花の季節が終わると、鉢から出して地植えする。
いつのまにかいろいろな種類の紫陽花が庭に咲くようになった。
母は親戚や友人にその花をプレゼントし、花の輪がさらに広がる。

帰省する庭で紫陽花が迎えてくれる。




午後のつぶやき    [日々]

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「願い事きいてあげるから、そのまえに、もうちょっといい世の中にしようよ」
なんてつぶやきが聴こえてきそうな鎌倉の午後。




ほほえみ   [日々]

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先週末、竹ガムランの演奏で龍と弁天が舞った。
朝の光が鳥居の少し上方から射し込む。
新緑がさらに煌めきを増す。
緑が一瞬透明に観えた。
場所は江島神社、弁天さまの住むところ。

友人達の演奏と舞踊はこの場所にさらに温かみを増していくように感じた。
演奏前のお祓いで聞いた祝詞はあまりにも気持ちよく、そもまま眠りに落ちてしまいそうだった。
光は強くなりすぎず、踊り手を照らす。
ときに風が回り込み、場を浄めていく。
そんなとき、この演奏と舞踊はこの地によばれたのだなと感じる。
http://darma.blog.ocn.ne.jp/

今週末は羽根木公園でガムラン・コンサートがある。
先週に続き、撮影班として参加。
耳の状態を気にしてくれながらも、写真を頼りにしてくれる。
とても嬉しいことである。
http://gamelan.otonomori.jp/

ロベルト・ドアノー写真展に行った。
数年ぶりに見た写真からは以前とは違う感覚を味わった。
経験をつむごとに写真の読み方は変わる。
写真家としてだけでなく、人としての尊敬に変わる。

どの世界においても、成した人には常人にない狂気がある。
悪い意味ではなく、発想、エネルギーが違い、一般社会では住みづらいだろう。
その強さなかで、優しさを表現することの難しさ。
あらためて光が微笑むことの意味を考える。






風と贈り物   [日々]

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「 Not I not I but the wind that blows through me 」

D・H・ロレンスの言葉を、中沢新一さんの本で知った。
私のなかを吹き抜ける風が、書いたのだ。「私」がそれを書いたのではない。

桜の花は自然からの贈り物。
咲いたかと思うと風に舞い散る。
有と無が一瞬にすれ違う。

贈り物は風のようなもの。
所有を望むと風はとまる。
桜の花は充実した無なのかもしれない。


参考『純粋な自然の贈与』中沢新一著


はじまり     [日々]

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旧正月。
この日にあわせ年賀状を郵送してくる友人も増えた。
昨日は神社でお祓いをしてもらい、新しい年を迎えた。

先週は100パーセント相手の不注意で事故にあった。
運良く大きな怪我にはならなかったが衝撃は大きかった。
クルマに乗ると衝撃音がいまだ耳から離れなく、前方不注意のクルマが飛び出してこないかドキドキする。
そんなことも今日がひとつの区切り。
自分のなかでは何かが吹っ切れた朝を迎えた。

三週に渡り週末は鎌倉に通う。
自然のもつ力と、土地に眠る時間、そのゆがみがインスピレーションとして沸き上がり、感性を揺さぶる。
写真を集合させた空間にもそのゆがみを持ってきたい。
想いは雲のように沸き上がり、光は雲をつらぬく。

新年は信念。




12月31日   [日々]

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温かな陽射しにつられ、窓をあける。
一年の出来事を、感謝とともに太陽にかえす。
あとは明日の風を待つだけ。

今年もありがとうございました。
よい年をお迎えください。



雲雲雲   [日々]

日曜日の午後、多摩川に雲を撮りに行った。
あまりにも表情が変化したのでここで紹介。



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左側の雲の変化。奇麗な夕陽が…


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右側(北)の雲の変化。穏やかな多摩川の景色が…


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西から東にエネルギーが流れているような不思議な空の景色だった。



七五三   [日々]

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姪の七五三の専属カメラマンをした昨日。
膨大な写真データをチェックしているけど、みな可愛くて絞り込むのが大変。
清々しい気をたくさん貰いありがとう、とお礼を言いたい今日。






満月と岩木山    [日々]

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二週間程前の朝、女性誌で掲載した青森の岩木山の写真を整理しながらこの山のことを考えていた。
昼に青森在住の木村秋則さんの本を読んでいたら、青森の仕事が入る。
夕方にはその女性誌から別件の問い合わせがあった。
その時期、ある単語が頭の隅にいつもあった。
その言葉は中華街でも繋がっていた。
いろいろな偶然が重なりそのイメージの行き先に箱根が浮かんだ。
翌日に箱根での撮影依頼が舞い込む。
という訳で先週末は箱根、週明けに青森に行ってきた。

青森での集合時間より早めに東京を出る。
撮影前に澄んだ空気をたっぷり吸い込みたい。
できれば岩木山も久しぶりに見てみたい。
青森駅に着くと機材をホテルに置き、カメラ一台ぶらさげて在来線に飛び乗る。
行く先は決めていない。
できれば岩木山が見える駅で降りてみたい。
太陽が傾き、紺色の闇が津軽平野をゆっくりと包み始める頃、うっすらと淡い月が現れる。
そう言えば今夜は満月。
ひんやりとした乾いた空気に、月はいつもより白く輝く。
月を見ようと次の駅で電車を降り、ホームの階段を駆け上がる。
最上段に達したとき、すれ違う高校生に岩木山の場所を尋ねてみた。
指差された僕の後ろには、先ほどまで雲に隠れていたその山が夕陽に染まり赤く輝いていた。
東に満月、西に岩木山。
絶景。

夕暮れの道を地図もなく歩くと川に出た。
土手に沿って見晴らしのいい場所を探す。
川の流れる音がゆったり空へと流れる。
天と地が近くなった。
この景色を見たかった。

箱根に行く前に「京都に住むあの人はどうしているだろう」と考えていた。
すると何年も会ってないその人から突然にメールが届き、青森に行く前に会うことになった。
僕と京都の縁を持って来てくれた。
そしてこれから各々が進むべき道を話した。
その時話題になった人と昨日は赤坂で偶然に会う。

偶然が続くことは誰にでもあるだろう。
仕事柄さまざまなジャンルでトップを走る人達に会う。
顔にも、雰囲気にも、縁を繋げる不思議な能力を感じる。
同じ空気を吸うことに安心感を覚える。
深いところでの強い力を感じる。
写真も仕事も行きつくところは縁結び。
重なる偶然に励まされたような二週間だった。
イメージの先はまだまだ長い。
途切れたり、消えたり、諦めたり、それはまるで月夜に探す小道のようなものかもしれない。





白へ   [日々]

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桜の白は冬の精。
彼岸花の赤は夏の精。





秋   [日々]

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広島から山口と続いた旅。
ファインダーの中では台風の影響を受けた雲が芸術的な空を創り上げていた。
太陽の光がすべるように海面を照らしていく。
撮影が一段落すると待っていたかのように豪雨が襲う。
そして西へと移動する。
紙一重のタイミングでスケジュールをこなしていく。
順調に進んだ日程と今後の台風のことを考え飛行機の便を早くする。
家に戻り週も明け、ニュースで被害の大きさを知る。
数年前に取材でお世話になった地が流されている。
撮影は無事に終わったが、同じ日に同じ台風でこれほどの悲しいことが起きていたかと考えると虚しくなる。
旅の途中に運とかツキとか言っていた自分勝手さを恥じる。

撮影の最終地は壇ノ浦だった。
本州と九州のあいだにあるのは海ではなく、流れの早い川だった。
家の近くの多摩川よりもはるかに大きな力でスピードで潮が流れていく、流していく。
義経は平家との戦いでは非戦闘員の水夫を次々に矢で射った。
これまでの戦闘ではあるまじきこと。
漕ぎ手を失った船は激流に流される木の葉のようで無惨なもの。
もはや戦にはならない。
この地に行かないとその悲劇の想像はできなかった。
頼朝は魔人のような破壊の天才の存在を怖れた。
義経は敵ばかりでなく、悲しいことに結果的に自分へも矢を射ることになったのだろう。

肌に感じる風が涼しくなるほどに秋の旅を思う。
感じ方が変われば見方も変わる。
留まることより流れることを考える。
執着すれば新しい風に気づかない。
木を見れば森が見えない。
土を見れば空が見えない。
変わったのは自然ではなく自分達の暮らし。
虚しいのは…






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